※2026年10月6日時点で、公的機関・博物館・寺院などの公式情報で確認できた内容をまとめています。本記事には広告(PR)が含まれます。
✓ 「君が代」が法律で国歌と決まったのは、意外にも1999年
✓ 「銀閣寺」は通称で、その呼び名が広まったのは江戸時代。正式名称は東山慈照寺
✓ 日本最古のお金は和同開珎ではなく、7世紀後半の富本銭と考えられている
✓ 伊能忠敬が全国の測量を始めたのは55歳から
✓ 万里の長城は宇宙から肉眼ではほぼ見えず、ヴァイキングの角つき兜は出土していない
✓ 全14問をクイズ形式で紹介。答えの根拠も公式情報で確認しています
「歴史の雑学って面白いけど、本当の話なの?」と思ったことはありませんか。ネットには歴史の雑学がたくさんありますが、なかには出どころが分からない話や、後から否定された説がそのまま広まっているものもあります。せっかく誰かに話すなら、自信をもって話せる雑学を知りたいですよね。
この記事では、面白い歴史の雑学をクイズ形式で14問紹介します。どの答えも、内閣府、日本銀行の貨幣博物館、気象庁、寺院の公式サイト、NASA、デンマーク国立博物館など、公的機関や公式の情報で確認したものです。友だちや家族への出題、子どもの自由研究のきっかけにも使ってください。
- 日本の国歌が法律で決まったのはいつ?
- 銀閣寺に銀が貼られていないのはなぜ?
- 日本でいちばん古いお金は?
- 万里の長城は本当に宇宙から見える?




面白い歴史の雑学クイズ:答えの早見表
先に答えを知りたい人のために、全問の答えをまとめました。クイズとして楽しみたい人は、ここを飛ばして次の見出しから読んでください。

| No. | 問題 | 答え |
|---|---|---|
| 1 | 「君が代」が法律で国歌と決まった年は? | 1999年(平成11年) |
| 2 | 銀閣寺の正式名称は? | 東山慈照寺 |
| 3 | 「銀閣寺」という呼び名が広まった時代は? | 江戸時代 |
| 4 | 足利義政は銀閣の完成を見られた? | 見られなかった |
| 5 | 銀閣寺が伝える「大文字の送り火」の始まりは? | 義政の子・義尚の供養 |
| 6 | 金閣寺の正式名称と、もとの建物は? | 鹿苑寺。もとは西園寺公経の別荘 |
| 7 | 日本で最も古いお金と考えられているのは? | 富本銭(7世紀後半) |
| 8 | 和同開珎のモデルになったお金は? | 唐の開元通宝 |
| 9 | 578年創業とする日本の会社は? | 金剛組(社寺建築) |
| 10 | 伊能忠敬が測量を始めた年齢は? | 55歳 |
| 11 | 富士山の記録に残る最後の噴火は? | 1707年の宝永噴火 |
| 12 | 万里の長城は宇宙から肉眼で見える? | ほぼ見えない |
| 13 | ヴァイキングの角つき兜は見つかっている? | 見つかっていない |
| 14 | 自由の女神は最初から緑色だった? | 最初は銅の茶色 |
日本史の面白い雑学(国歌・お寺編)
Q1. 「君が代」が法律で日本の国歌と決まったのはいつ?
答え:1999年(平成11年)です。
「君が代」はずっと前から歌われてきたので、昔から法律で決まっていたと思う人も多いでしょう。ところが、国旗と国歌を定めた「国旗及び国歌に関する法律」ができたのは平成11年(1999年)です。この法律で、国旗は日章旗(日の丸)、国歌は君が代と定められました。
内閣府のページに載っている当時の内閣総理大臣の談話では、日章旗と君が代は「慣習法として定着していた」もので、法律でその根拠をはっきりさせたと説明されています。法律では、日の丸の寸法(縦は横の3分の2、日の丸の直径は縦の5分の3)まで決められています。
Q2. 銀閣寺の正式名称は?
答え:東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)です。
銀閣寺は、京都の相国寺の塔頭(たっちゅう)寺院のひとつです。室町幕府の8代将軍・足利義政がつくった山荘「東山殿」が始まりで、義政の死後にお寺となり、義政の法号「慈照院」にちなんで慈照寺と名づけられました。有名な2階建ての建物「銀閣」の正式名称は観音殿です。
Q3. 「銀閣寺」という呼び名が広まったのはいつ?
答え:江戸時代です。
銀閣寺の公式サイトによると、銀閣寺の名前は、江戸時代に金閣寺に対して銀閣寺と呼ばれるようになったのが由来とされています。つまり、義政が生きていたころから「銀閣」と呼ばれていたわけではありません。「銀が貼られていないのに、なぜ銀閣?」という疑問は、名前が後からついたと知ると納得しやすいですね。
Q4. 足利義政は、銀閣の完成を見ることができた?
答え:見ることができませんでした。
銀閣寺の公式サイトの歴史の説明では、銀閣(観音殿)の柱を立てる立柱上棟が行われたのは長享3年(1489年)3月。その後、義政は病に倒れ、翌年1月7日、銀閣の完成を見ることなく亡くなったとされています。義政は応仁の乱のあと、政治を息子に譲って東山の山荘づくりに打ちこみましたが、最も有名な建物の完成には立ち会えなかったのです。
Q5. 銀閣寺が伝える「大文字の送り火」の始まりとは?
答え:義政が、亡くなった息子・義尚(よしひさ)を供養するために始めたと伝えています。
京都の夏の行事「五山の送り火」の大文字。銀閣寺の公式サイトでは、義政が近江(今の滋賀県)の陣中で亡くなった息子の義尚を弔うため、如意ヶ岳の山に「大」の字をかたどらせ、お盆の16日に火をともしたのが始まりだと紹介しています。毎年8月16日の大文字の送り火を見るときに、思い出したい話です。
Q5は銀閣寺が伝える由来です。人に話すときは「銀閣寺ではこう伝えている」と添えると正確です。
Q6. 金閣寺の正式名称と、もとの建物は?
答え:正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)。もとは鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘でした。
金閣寺も、銀閣寺と同じく相国寺の塔頭寺院です。舎利殿「金閣」がとても有名なため、一般に金閣寺と呼ばれています。公式サイトによると、西園寺公経の別荘を足利義満が譲り受けて山荘とし、義満の死後にお寺となって鹿苑寺と名づけられました。応仁の乱では境内の多くの建物が被害を受けましたが、金閣などは焼けずに残ったと説明されています。
日本史の面白い雑学(お金・人物・災害編)
Q7. 日本でいちばん古いお金と考えられているのは?
答え:富本銭(ふほんせん)です。
「日本最古のお金は和同開珎」と習った人もいるかもしれません。日本銀行の貨幣博物館によると、1998年の飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)の発掘調査で、7世紀後半に富本銭がつくられていたことが明らかになりました。遺跡からは富本銭だけでなく、鋳型やルツボ、やすりなど、お金をつくる道具も出土しています。
富本銭は、『日本書紀』の天武12年(683年)に出てくる「これからは必ず銅銭を使え」という命令に記された銅銭だと考えられています。
Q8. 和同開珎のお手本になったお金は?
答え:中国・唐の「開元通宝」です。
貨幣博物館の解説によると、唐の制度や文化を積極的に取り入れていた律令国家は、708年に開元通宝をモデルとして和同開珎を発行しました。お金を発行することは、国の独立と権威を国内外に示す大切な意味があったそうです。当時の政府は、銭をためた人に位を与えるなどして、お金を広めようとしました。
Q9. 「578年創業」をかかげる日本の会社は?
答え:お寺や神社の建築を手がける金剛組(大阪)です。
金剛組の会社概要には、創業は「飛鳥時代 第30代敏達天皇7年(西暦578年)」と書かれています。沿革によると、聖徳太子の命を受けて百済から招かれた3人の工匠の1人が初代の金剛重光で、日本最初の官寺とされる四天王寺の建立に関わりました。現在の株式会社としての設立は2006年で、髙松建設の出資を受けて新しいスタートを切っています。金剛組は自社サイトで「世界最古の企業」とうたっています。
Q10. 伊能忠敬が日本全国の測量を始めたのは何歳?
答え:55歳です。
伊能忠敬記念館(千葉県香取市)によると、忠敬は1745年に今の千葉県九十九里町で生まれ、佐原の伊能家の当主として家業や村のために働きました。家督を譲って隠居したあと、50歳で江戸に出て学び、55歳(1800年)から71歳(1816年)まで10回にわたって測量を行いました。完成した地図はとても正確で、ヨーロッパでも高く評価され、明治以降も国内の基本図のひとつとして使われました。「何かを始めるのに遅すぎることはない」と話したくなる雑学です。
Q11. 富士山の記録に残る最後の噴火はいつ?
答え:1707年(宝永4年)の宝永噴火です。
気象庁の資料にまとめられた富士山の噴火の記録では、噴火年として記されているのは1707年が最後です。このときは南東の山腹(今の宝永山)で爆発が起き、その日のうちに江戸にも大量の灰が降り、川崎では厚さ5cmに達したと記録されています。家や畑が埋まった村も多く、噴火のあとも洪水などの土砂災害が続きました。富士山は今も、気象庁が「常時観測火山」として観測を続けています。
世界史の面白い雑学
Q12. 万里の長城は、宇宙から肉眼で見える?
答え:ほぼ見えません。
「宇宙から見える唯一の建造物」という話は有名ですが、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、国際宇宙ステーションから撮影した長城の写真の説明で、長城は月からは見えず、地球を回る軌道からでも、写真に使ったような高性能のレンズなしでは見るのが難しいか不可能だと書いています。
Q13. ヴァイキングの「角つき兜」は見つかっている?
答え:見つかっていません。
ヴァイキングといえば角のついた兜のイメージがありますが、デンマーク国立博物館によると、ヴァイキング時代の兜で、ほぼ完全な形で残っているのはノルウェーのイェルムンブで見つかった1つだけで、その兜に角はありません。一方で、鉄器時代の金の角杯やヴァイキング時代初期の織物には、角のある兜をかぶった人の姿が描かれているものもあります。博物館は、すべてのヴァイキングが角つき兜をかぶっていたわけではないだろう、としています。
Q14. ニューヨークの自由の女神は、最初から緑色だった?
答え:最初は銅の茶色でした。
アメリカ国立公園局(NPS)によると、自由の女神は厚さ約2.5mmの銅でできています。1886年に完成したときは、アメリカの1セント硬貨のような茶色でした。銅が自然に酸化して表面に緑色の膜(緑青)ができ、今の色になるまでには約30年かかったそうです。
歴史の雑学をもっと楽しむコツ
歴史の雑学は、正確さが大切です。人に話す前に、次の3つを意識すると「実はちがった」という失敗を防げます。
| コツ | 具体的には |
|---|---|
| 出どころを確かめる | 博物館、寺社の公式サイト、公的機関の資料など、元の情報にあたる |
| 「説」と「事実」を分ける | Q5のように言い伝えがある話は「〜と伝えている」と話す |
| 新しい発見に注意する | Q7の富本銭のように、発掘で常識が変わることがある |
✓ 家族や友だちとのクイズ
✓ 京都・奈良などの旅行の前の予習
✓ 子どもの自由研究のテーマ探し
・ネットの雑学をそのまま信じない
・言い伝えを事実のように断定しない
・年号は西暦と元号の両方を確認する
お寺の歴史を知ってから京都を歩くと、同じ景色でも見え方が変わります。銀閣寺と金閣寺は、どちらも相国寺の塔頭なので、続けて訪ねてみるのもおすすめです。歴史の本や図鑑で、気になった時代をもっと深く調べてみるのも楽しいですよ。楽天市場で歴史の雑学の本をさがす
よくある質問
Q. 銀閣寺には昔、銀が貼られていたのですか?
A. 銀閣寺の公式サイトでは、「銀閣寺」という呼び名は江戸時代に金閣寺に対してつけられたものと説明されています。義政の時代から「銀の建物」と呼ばれていたわけではありません。
Q. 和同開珎は、もう「日本最古のお金」ではないのですか?
A. 日本銀行の貨幣博物館は、1998年の飛鳥池遺跡の調査で、和同開珎(708年)より前の7世紀後半に富本銭がつくられていたことが明らかになったと説明しています。
Q. 万里の長城は宇宙からまったく見えないのですか?
A. NASAは、月からは見えず、地球を回る軌道からでも高性能のレンズなしでは見るのが難しいか不可能だと説明しています。カメラで撮影された写真はありますが、肉眼で簡単に見えるものではありません。
Q. 子どもの自由研究に使ってもいいですか?
A. もちろんです。その場合は、この記事で紹介した公式サイトや博物館の情報を自分でも確かめ、どこで調べたかを書いておくと、よりよい研究になります。
まとめ:面白い歴史の雑学は「確かな根拠」とセットで
「君が代」が国歌と法律で定められたのは1999年、銀閣寺の呼び名は江戸時代から、日本最古のお金は富本銭、伊能忠敬の測量は55歳から。どれも身近なのに意外と知られていない歴史の雑学です。世界に目を向ければ、万里の長城は宇宙から肉眼ではほぼ見えず、ヴァイキングの角つき兜は出土していません。根拠と一緒に覚えておけば、自信をもってクイズに出せます。
ほかの雑学記事もどうぞ。
